Kenyaのサファリに行こう
2022年9月下旬から2023年7月まで10か月間ケニアにいました!今年度は、博士課程(PhD student)の3年目で最終学年(の予定)です(白目)
気まぐれでケニアの話をつぶやこうと思う。
ケニアには地図を見る通りたくさんの自然保護区があり、広大な自然の中で生きる野生動物を見ることができます。これがサファリです。多くはドライブサファリですが、中にはボートサファリや自転車サファリ、ウォーキングサファリもある。
首都のナイロビはかなり開発が進んでいる大都会ですが、なんとそこにも広大なナイロビ国立公園があり、ビルを背景に野生動物を見ることもできます。
例えば、ケニアの左下近くにあるマサイマラ(Masai Mara National Reserve)。サファリの中でも有名どころの一つ。
サファリカーに乗って、ドライブで公園を回りながら動物を探します。
一番上の動画は、3月中旬、早朝のマサイマラで独り占めして見たチーター。かつてはTano Bora(スワヒリ語。Tanoは5,Boraは優れているとかそういう系の意味)と呼ばれ、5匹で兄弟のように協力して狩りをして食事をしていた最速5匹組だったそうですが、今では2匹か3匹(忘れたw)に減ってしまったそうです。にしてもかっこいい。。。。
森のイスキア4
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お客さんが帰った後森のイスキアは休憩モード。
「みんなおしゃべりねぇ、疲れちゃう。自分の時間がなかなかとれないの」
初女さんは神ではない。一人の人間だ。歳は92歳。悪いところは一つもないけれどとてもお疲れのようで、初めて会った時より小さく見えた。話をしているうちにうとうと。微音カメラで激写してしまった。
17時ごろから夕飯の準備が始まる。お昼と同じだ。みんな自然と役割分担して、着々と時間が進む。お盆にいのちが並べられてゆく。
「あたし、千切りキャベツが食べたい。」「いいねぇ、キャベツ切りましょうか」
ホタテのフライの下ごしらえを手伝った。とてもおおきな北海道産のホタテ。1つ1つ、丁寧にパン粉をつけていく。千切りキャベツ(高原野菜)はとてもきらきらしていた。シャキシャキでとてもおいしかった。トマトは真っ赤で皮をむいて食べやすくしてある。甘くておいしかった。
「トマトが1番好きな食べ物」と言ったら、初女さんが自分の分をくれた。
お昼に漬けたキャベツときゅうりの塩もみは新鮮さが保たれていて、きゅうりはシャキシャキだった。
「お漬物。おいしくできたね。ねぇせんせ。やっぱり新鮮なのね。キャベツもきらきら輝いている」まるで子どもみたいな素直な感想だ。カッコつけたりしないで素のままでいる。聞いているだけでうれしくなってくる。
「真っ赤な筋子!大きいのがいいな」「ホントおいしいね」
イカ焼きはすごい味があって、イカの味がする。柔らかくてとても美味。筋子は粒が潰れていない。東京ではこんな新鮮なのは売っていない。(と言っていた)プチプチしていてご飯が進む。ご飯の水加減がちょうどよくてとても喜んでいた。
みんなで作ってみんなでおいしいって食べる。とても身近な幸せだと思うけど、最近忘れている人も多いのではないかと思った。
翌日、豪雨の音で目が覚めた。下へ降りると、もう皆さんは朝食の準備をしていた。
初女先生は座って鰹節をけずっていた。
「これなんだかわかる?」
「かつおぶしですか?」
「そう、よく知っているのね、やってみる?」
「あらお上手、やったことあるの?」
「次はかぼちゃを煮ますね」
かぼちゃは平たい鍋にザラメとだし汁と醤油をいれて、一口大に切ったかぼちゃを大きいものからパズルのように並べていく。わずか1cmほどの水で煮る。
「昨日いただいたズッキーニ食べましょうかねぇ、先生。」
「ベーコンと炒めたらおいしいね。オリーブオイルで。」「きれいな緑ねぇ」
「せんせ、その鰹節はだしにするの?いいわねー。贅沢。」
初女先生が下の戸棚からなにか乾いた海藻をとりだした。
「これは、焼きまつもって言ってね、ちょうど今のものなの。みそ汁の上に載せるのよ」「へー今のものなんですか先生。」
お手伝いのおばさん達も初耳のようで子どものように目を輝かせていた。みそ汁にのせる為に、人数分に小分けしておく。私は正直、(直前にちぎってのせればいいじゃん)と思ったが、ふと周りを見ると、炊飯器の隣にはお茶碗が人数分としゃもじがきちんと並べてあるし、みそ汁のお椀も整然とお盆に並べられている。食卓にはお盆が整列している。
玄関の置物にこう書いてあった。《はきものをそろえるとこころもそろう ぬぐときにそろえるとこころが乱れない 乱れていたらだまってそろえておいてあげる そうすれば人のこころもきっとそろうでしょう》ものを揃えるということこころを揃えることになる。そろえておくと後で慌てることがない。あらかじめ準備がしてあるから食べる直前にこころを落ち着かせることができる。生活の中のあらゆることすべてつながっている、食事の準備の時にちゃんとものを揃えておくということが料理に集中するための準備だと感じた。
出会いは未来を開く
「まずは、自分がこころをこめて作ったものをどうぞ、と言って食べさせること。よく旅館とかは食べる前にお料理の説明をするけれど、目の前にごちそうがあるのに説明なんて集中して聞いていられないでしょう。こころをこめて作ったものは言葉なしで食べてもらったほうが伝わる。だから食べてみて、何か聞かれたら答えるようにしている。美味しいと感じたら、また食べたいと思うから「どうやって作ったのかなぁ」って気になるから。それで丁寧に作り方を教えたり、今度一緒に作ってみましょうと誘うと、私も作ってみようかなと思うようになる。そうしてどんどん和が広がって行く。」
弘前イスキアには日本中からいろんなものが送られてくる。「あら、●●さんから。お礼しないとね。」って誰なのか覚えているがすごいと思った。ただ、送られてきたものが多すぎて、ほとんどが賞味期限切れになってしまう・・・。帰りにお土産にくれたものもよく見たら、賞味期限が一か月過ぎていた。
佐藤初女さんは92歳になった今でも、人任せにはしない。自分のことは後回しにし、常に周りの人を気にかけている。常に先生は人々に求められている。私は少しかわいそうだなと思った。先生が時々見せる、さびしい表情が気になった。現代の人は飢えている。スピード社会、飽食・美食の時代、食や人への感謝の気持ちと思いやりの意識が薄れてきてしまっていると感じた。
14時半ごろ、私が帰ろうとしているときに富士聖母園の女子高生たちが来た。メイクバッチリの女の子が森のイスキアに入った瞬間に、「あぁいいにおい、イスキアの匂いだ!」と言った。素晴らしい笑顔だった。
帰る前に必ずやる儀式がある。前にある鐘を鳴らすことだ。
「カーン」
と気持ちいい音が響き渡った。こころの奥底まで響き渡った。
「がんばってね。また来てね。お元気で!」
と言ってみんなが送ってくださった。幸せいっぱいで森のイスキアを後にした。
森のイスキア3
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下に降りるとお昼の準備をしていた。野菜を切っている人、配膳の準備をしている人、焼き魚に付きっきりで何回も様子を見ている人、みんなそれぞれ役割があって、集中している。不思議な時間が流れている。
「お漬物を作りましょう」と言って、キャベツの切り方を教えてくれた。包丁はなるべく使わない。根元に包丁を入れその後は出来るだけ手で割る。一枚ずつ葉をはがして、繊維を壊さないように手でちぎって(さいて)いく。傷んだところはとる。
繊維を無理に壊さないようにするとつけた時に塩分が自然に入っていく。きゅうりは斜め切り。容器にキャベツを広げて入れて、きゅうりをのせ、塩をふる、の繰り返し。最後に重しをかける。
お手伝いさんが「重しの石がないので、これでいいですか」
「いいよ、これで。」「あらちょうどいいわね。うん水だと重さが自由自在ね。」
「せんせ、お魚これぐらいでいい?もうちょっと焼く?」
「煮豆のお皿とひじきのお皿どれがいいですかね」
「せんせ、おむすびの準備しておくね」
「ありがとうございます」いろんな会話が行きかう。
1つ1つの料理に心が行きとどいている。おろそかなものは1つもない。全部に手をかけている。そう感じた。すべての動きに無駄がない。初女さんが前、講演会の時に言っていたことを思い出した。
「関係ない」っていうのが1番ダメ。それは食材に対しても同じなんだ。食材も人と同じ、いのちをもつものだということが見ていて感じられた。
初女さんは、料理中(特におむすびを握る時)基本黙っている。何か聞かれた時に静かに答えるだけだった。集中している。隣にいて、オーラというかエネルギーというか何かを感じる。話を聞く時は話す人の目を見て静かに聞く。食材も一緒だと気付いた。食材と真剣に向き合っている。
丸く、真中がすこしくぼんでいる。2枚の海苔でピッチリと隙間なく包み、形を整える。海苔はご飯の蒸気でしんなりとしてなじむ。盆ザルに真っ黒なおむすびが並んでいく。タオルの上で呼吸しているように見えた。
お盆の上にたくさんのいのちが並んだ。ひじきの煮物、煮豆、漬物、卯の花と常備菜が多い。だから、品数が多く、とても豪華に見える。
初女さんは食事中も無駄に話したりはしない。何か聞かれたら答える。箸づかいが優しくて、ゆっくりと味わって食べている。私もなぜか自然にそうなっていた。がつがつ食べるのは食材に申し訳ないと思った。しょっぱいものと甘いものとそれぞれが主張しながらもお盆の上の全体で調和している。おむすびはかじるとほろっとくずれて、かじったところにはお米の1粒1粒が並んでいて、立っている。優しい味がした。海苔で覆われているから素手で持って食べられるし、くずれないから食べやすい。両手で包むように食べるからおむすびの力が口からだけでなく手からも伝わってきた。お客さんが言っていた。「ほんと、なんでこんなにほろっときれいにくずれるのかしらね。なかなかこうはいかないのよ。先生のちょうどい力加減がいいのよね」食材と真剣に向き合うから、それぞれが活かされる。私は作るところをずっと見ていたからよくわかった。
お昼に来たお客さんに話を聞くことができた。
- 秋田市から
10年ほど前に初めてここに訪ねて、ずっとまた行きたいなぁと思っていた。料理するのが大好きな友達と行きたいねと話が合い、空き具合を聞いたところたまたまOKをいただいて友達と2人で来た。周りの雰囲気がずいぶん変わったが、中は全然変わっていなくてうれしかった。お昼ご飯をいただいて、懐かしさで心がいっぱいになった。感謝の気持ちとこれから元気にやっていけそうだと勇気をもらった。ここのご飯は本物の味だと感じた。いつもは間に合わせでこんな感じかなってやってきたなと感じた。
- 沖縄から
本を読んで、会えたらいいなと憧れていたところ、村上さんと意気投合し道が開かれた。都合がちょうどついて神様の導きのように感じている。初めて来たけど懐かしい心地がする。みんなで食事をして手をかけていただいた食事、心がこもったおむすびを体に取り込んだ。ここのおむすびは生きるためのもの、コンビニのおにぎりはお腹を満たすものだと思う。
- ガールスカウトの初女さんの教え子だった方
先生と会いたいと顔を思い浮かべてきた。つきあいは40年。元気を確認し、また原点に戻ってみたいと思ってきた。先生の料理は人の心に気をつかう。人が食するものの心の見方に気をつかう。若い時にキャベツの切り方をほめられたのが忘れられない。やっぱり先生だな、生きるものに対するまなざしが違う。食べる時間を配慮して塩の加減をしたり、食材に対しての配慮、向き合うことを学んだ。昔から先生は周りに人をひきつける香をはなっていた。なんか違った。
来た人は食事をしてゆっくりしたら温泉に入って、裏の森を散歩してリフレッシュ。すっきりして元気に帰って行った。
森のイスキア2
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9時に、弘前イスキアにお手伝いさんの方たちがどんどん集まってきた。一階が騒がしくなって、静かに待っていると、「行くよー」とせいこさんが声をかけてくれ、森のイスキアへ車で出発した。弘前から約30分で岩木山が見えてくる。窓から外を眺めていると、立派な岩木山が鎮座していて、緑豊かな自然が迎えてくれた。岩木山の麓に森のイスキアはある。
10時頃到着すると、先に到着していたお手伝いさん達が待っていた。みんな輪になって、自己紹介をした。名前と簡単に来た理由などを話すと、「珍しい名前ねぇ素敵な名前!」「頭がいいのね、着眼点がすごいわ!」などいろいろ褒められた。「2階のお部屋、貸し切りだから好きなところ使っていいよ」宿泊は私一人だったようだ!
2階はお客さんのお部屋になっていて、学校の寮みたいだ。私は岩木山の見える部屋を選んだ。
2階のフロアで、初女さんとお話しさせてもらい、いくつか質問をした。
Q.料理をするとき、どんな気持ちで作っていますか?
A.他のことは考えないで、今やっていることに全身をかける。たとえば、野菜を切っているときは「切る」ことだけを考える。ものによって、食べ方によって、1つ1つの食材には人と同じように性格があって、その性格を見つけて、1番おいしく食べられるように努めていく。おいしく作るには、まず、新鮮なもの、旬のもの、地場のものを使うこと。食べやすいように食べ方に合わせて切る。そういうことを落ち着いて考えて作る。私たちは食べることによって生きている。生かされている。だから常に食材に感謝して作っている。だからおむすびを作る時もおいしくなるように、全身がおむすびに伝わるように専念する。そうするには、心を落ち着かせること。集中して取り込むことが大事。最近は「忙しくてそんな余裕がない」とかよく聞く。みんなが忙しいから社会全体が忙しくなって、ガサガサ騒がしくなってしまう。ちょっと休むことが大切。そのちょっとが大きな結果になる。だから料理する時も休むことによって、食材に味が染みておいしくなる。勉強や仕事の時も同じ。ちょっと休んで気分転換に料理してみたり趣味の時間にしたりすると意外なところにアイデアが落ちている。私の料理を見て、食べて、みんないろんなことを感じて教えてくれる。それがまた私にとって勉強になる。
Q.手作りのおむすびと売り物のおむすびは何が違うと思いますか?
A.おむすびは素手で握るもの。日本人は手の感覚が鋭い。それは昔から日本人は素手を使ってお仕事していたから。また、握った後ラップやアルミホイルで包むのは蒸気がたまってしまって、お米が呼吸できなくなってしまう。おいしくなくなる。海苔もしける。だからタオルに包む。これは私の母から教わったこと。タオルで包むと味が変わらない。タオルの繊維のリングが熱を吸って水分を保ってくれる。ご飯の一粒一粒が呼吸出来るようにするとかじった時に一粒の姿が見える。今まで何気なくやっていた一つ一つを調べるようになってくる。生きていることを実感する。
「ここで学ぶのは見て学ぶのが一番。言葉ではうまく伝えられないから、いろんなことを見て、感じて、考えていってください。」と言って、初女さんは下へ降りて行った。
森のイスキア1
2013年8月8日~8月9日に私は青森県にある「森のイスキア」を訪ねた。
実際に森のイスキアに訪れた人々は何にパワーをもらい、森のイスキアでどんなことをするのか、佐藤初女さんのお料理やおむすびはどんなものなのか、一緒に生活することでその存在価値を体験するために実際に一緒に生活させていただいた。これから記すのは、森のイスキアでの2日間で私が感じたこと、思ったこと、学んだことの記録である。
佐藤初女さんについてはこちら
「出会いは未来をひらく」
これは初女さんが私に教えてくれた言葉だ。初女さんは私にいろいろな人に出会わせてくれた。森のイスキアでお手伝いをしている方々、そして森のイスキアに訪れた方々、遠いところでは沖縄から来た方もいた。帰り際には、同年代の富士聖母園の生徒のみなさんも来た。新しい人に会うたびに初女さんは私のことを紹介してくださった。そのおかげで、いろいろな話を聞くことができた。
「私には関係ない」っていうのが一番ダメ。自らの未来を閉ざしてしまっている。まずは向き合ってみること。
初女さんやお手伝いの方々は、言葉がなまっていて、語尾に「~んだねぇ」という。初対面した時からその素のままに言葉をかけてくれた。青森弁の独特ななまりが私の緊張を少しずつ溶かしてくれた。
8月8日、朝8時30分、弘前イスキアの前に立ち、これからの二日間どんなになるだろうと半分わくわくと半分は不安があった。
「待ってましたよ。さあ入ってください。」
チャイムを鳴らすとしばらくして、初女さんが扉をあけてくれた。2階へあがると居間に通された。初女さんと向い合せになって座ると何話せばいいのか頭真っ白になって、とりあえず菓子折りを「どうぞ」とわたした。「なに?これ、お菓子?ありがとう。」と嬉しそうに受け取ってくれて、素直な受け答えにほっとした。お茶を持ってきてくれたせいこさんは「あぁあなたが!話は聞いていますよ。たくさん勉強していってくださいね。」と優しく迎えてくれた。みんなが私のことを知っていてくれてとてもうれしかった。
「朝ご飯は?食べたの?パン食べたの?そう、じゃあすぐお腹すいちゃうね。疲れたでしょう。いま何か軽く出しますね」と言って、下に降りて行った。
しばらくしてせいこさんがご飯を持ってきてくれた。「たいしたものないけどねぇ」といって前に出してくれた。
確かに、特別なものはない。けれど、どれもとてもおいしかった。ひじきの煮物は、ニンジンはシャキシャキでひじきは柔らかくて感動した。ブロッコリーは、とてもきれいな緑色、しっかり食感が残っていてとてもおいしい。いかの塩辛、実はちょっと苦手で家で出されても食べないけど食べてみた。やっぱり苦手。とてもしょっぱかった。塩辛さが全身にしみわたった。明太子も味が濃いけどしっかりたらこの味がする。一粒一粒が生きている。プチプチしていておいしかった。私の中に自然のいのちが吹き込まれていくようだった。ご飯は山盛り一杯で、最初は「え!こんなに多いの?食べられない、どうしよう。」と思ったが、おかずがなくなるころにはお茶碗が空になっていてびっくりした。食べ終わった後、とても幸せな気持ちになった。
佐藤初女さん
私が人生で最も影響を受けた人の一人。佐藤初女さんは2016年2月に亡くなった。亡くなったを知ったのは少し後だった。
「おむすびを差し出して、それを食べていただくことはそれだけでそこに信頼関係(絆)が築かれる。手で直に握るという、人との結びつきを強く感じさせる食べ物だからこそ、食べた人に豊かさを与え、作った人もまた豊かな気持ちになる。」
1921年青森市生まれ。弘前市在住。小学校の教員などを経て、弘前染色工房を主宰。1983年、憩いと安らぎの場として、自宅を開放して「弘前イスキア」を開設。1992年には岩木山の麓に「森のイスキア」を開設・主宰。苦しみを抱え、救いを求めて訪れる人たちを受け入れ、こころをこめた手作りの料理をともにし、寄り添う活動を続けている。1995年、映画「地球交響曲<ガイアシンフォニー>第二番」でその活動が紹介される。現在は、イスキアでの活動のほか、日本ガールスカウト連盟顧問も務め、また国内外で講演やおむすび講習会などを続けている。著書も多く、これまで多くの人に生きる勇気を与えてきた。
私は2013年6月1日に東京で行われた、佐藤初女さんの講演会に参加した。講演会では、最初に「地球交響曲第二番」のDVD上映の後、「食はいのち~土のめぐみ~」のお話を聞いた。最後には、わかち合い(質疑・応答)という時間があった。
佐藤初女さんは幼いころ、病気を患い、生死をさまよった。薬や注射の力では病気は良くならなかったが、食べる時には心の底から元気になるのを感じ、食べることを大切にするようになった。それからずっと、自然のいのちに感謝し、生活のすべてを「動の祈り」として生きてきた。そうしているうちに、助けを求めてたくさんの人々が寄ってくるようになったのだとDVDを見て知った。他人のために働くことは人間の天性である、相手が喜ぶことが自分の生きる力になるのだと言っていた。
講演では、ひとつひとつのいのちを大切にすること、料理をすることはいのちを扱うことで、美味しく作りおいしく食べて心にも体にも栄養になり、生きる力になるのだと言っていた。講演会後には、主催者の吉田さんのおかげで佐藤初女さんとお話をすることができた。
森のイスキアに実際に行きたいと言うと、数年前から宿泊の予約待ちをしている方がたくさんいるのでスタッフと相談して来れるようにしましょう、と応じてくださった。それから、森のイスキア事務局の神さんが何度も電話やファックスでやり取りをしてくださり、その年の夏に森のイスキアに宿泊が出来ることが決まった。