食で生活も心も豊かに、一人一人の自己実現を支援するシゴトがしたい!

食べることや自然が大好きで夢見がちな大学院生の日常を綴ります。

みんなで作ってみんなで食べることの価値

皆で作ってみんなで食べる機会がなくなってから、すでに1年以上経った。

 

私は、食事はただ栄養素を摂取することだけでなくて、食卓に上がるまでの過程とか、いつ、誰と食べるのかとかに価値があると思っている。

「同じ釜の飯を食う」というのは、生活を共にし、苦楽を共にし、お互いを知り、精神的につながることを意味すると思う。人は一人では生きていけないし、スキルとか能力とか以上に一番大事なのは人脈とか、一緒にいて高めあえるとかそういう人格だと思う。困ったときに頼れる人、誰かが困っている時に手を差し伸べられる人という人と人のつながりが人生を彩る。

「食べることは生きること」はまさにそのことを意味していて、食べないと生きていけないとかそういうエネルギーの問題ではなく、食べることで人とのつながりや、命の尊さ、生きている環境への感謝、共生を学び人として豊かになる。すなわち生きることである。

 

うまく言葉にできないけど、こういうスピリチュアルな数字やデータに出来ないことを信じているし、研究者の卵として大事にしていきたいと思う。世の中はデータがすべてという流れになってきていることが悲しい。

物事はエビデンスだけでなく、伝統とか経験とか精神的なものとかで成り立っていると思うから。

 

1日3回も食べるから御座なりにするのではない。1日3回もあるからこそ向き合う。

食べるのがめんどくさいという状況ならば、心が荒んできていることなのでは?追われているものから解放されて、自然の命と向き合う時間を作ってほしい。

というか私がそういう機会を提供できる人になりたい。社会は良くなっていくと思うから。

私がケニアでホームステイした時に惹かれたのは、こういう部分をとっても大事にしている彼らがうらやましくなったのかもしれない。そしてそれに比べて日本は、、、とちょっと悲しくなったのも事実。

今は貧しい地域の栄養改善の仕事をしたい!と思っているけど、ゆくゆくはそういう仕事もしたいなぁ。。。