食で生活も心も豊かに、一人一人の自己実現を支援するシゴトがしたい!

食べることや自然が大好きで夢見がちな大学院生の日常を綴ります。

おにぎりかおむすびか

「おむすび」「おにぎり」の名称の由来には様々な説が言われている。形の違い、海苔の有無、東日本と西日本で違う、など明確な区別は決まっていない。

「おむすび」というのは天地万物を生み出す神霊「むすび」(産巣日)から来たもので、その霊妙な力を意味し、あるいは霊を包み込む、土地を守る産土神(うぶすな)を指しているという説もある。ただし古くは「ムスヒ」とよみ、「結び」と関連させたのは平安時代後期以降である(日本国語大辞典小学館)。

「おにぎり」は「鬼を切る」という言葉に似ていて、魔よけの効果があるとの説もあり、鬼退治に白飯の握り飯を投げつけたなどの民話もある。

おにぎり派が多い?

日本全国ではおにぎりと呼ぶ人が約90%で圧倒的におにぎり派の方が多い。しかし、都道府県ごとに見てみると、山口県広島県ではおにぎり派は60%以下と他県と差がある。(ごはんを食べよう国民運動推進協議会による2013年アンケートより)

日本の食・おむすびの起源

おむすび(おにぎり)は炊いた米に味をつけたり、具を入れたりして三角形・俵型・球状などに加圧成型した食べ物である。通常は手のひらに載る程度の大きさにする。

 

弥生時代

後期の遺蹟である杉谷チャノバタケ遺蹟(石川県)から1987年12月におにぎりと思われる米粒の塊が炭化したものの化石が発見されており、日本最古のおにぎりと言われている。これはおそらく蒸された後にやかれたものとされ、このころはお米を蒸して食べていたと考えられる。やがて、鉄釜の普及により、お米を炊くようになる。

 

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出土された、日本最古のおにぎり


1987年に弥生時代の遺跡、杉谷チャノバタケ遺跡から「日本最古のおにぎり」の塊「チマキ状炭化米塊」が出土して以来、旧鹿西町はおにぎりの里として親しまれてきた。

www.town.nakanoto.ishikawa.jp

平安時代

蒸したもち米や玄米を握った「屯食」と呼ばれるものが、宮中での催しなどの際にふるまわれたという記述が「源氏物語」にある。「屯」は握る、押さえる、の意味がある。相手が下級役人で、人数も多数だったことから、器に飯を盛らずに握って間に合わせたものが屯食の始まりだったといわれる。この、「屯食」が今のおむすびの原型だと考える。

戦国時代

おむすびは戦の携行食として活用された。戦の勝利を願う縁起担ぎとして「握り飯」と称されていた。うちの人が願いを込めて握るのが元だったわけである。

江戸時代

今のように米を炊飯して食べることが確立したのはこの時代である。都市部ではコメが流通し、庶民も基本は米を食べるようになった。菜種油の普及により、夜暗くなってからも作業が出来るようになったことで、一日2食から3食になった。玄米食から白米食に変わり、出てくる米ぬかの再利用として「ぬか漬け」が考えられた。当時の食事は飯、みそ汁、漬物、納豆、豆腐、メザシなどである。屯食と呼ばれた携帯食が、もち米からうるち米になり、海苔をまいた今の「おにぎり」が出来たのは江戸時代中期と言われる。旅行客はおにぎりを竹の葉で包んだ弁当を風呂敷に包んで肩や腰にかけた。江戸時代後期に歌川広重に描かれた「東海道五十三次細見図会」には旅人がおむすびを食べている絵がある。

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歌川広重東海道五十三次細見図会』 《 藤沢 》

www.benricho.org

明治時代

文明開化により西洋料理が入ってきて、上流階級と知識人を中心に浸透した。さらに和洋折衷である洋食が生まれる。明治時代後期になると、洋食は、米飯に適したおかずとして、また気楽な西洋料理として、箸で食べることができ、栄養的にも優れているという点で、外食において普及し始める。おにぎりが商品化したのもこの明治時代で、宇都宮駅で黒ゴマをまぶしたおむすび2個とたくあんを竹の皮に包んだ物が販売された。これが日本最初の駅弁と言われている。明治22年に、山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で貧困児童を対象に無料で学校給食を実施された。献立はおにぎりと焼き魚、漬け物だった。これが日本の学校給食の起源とされる。(国学校給食会連合会HPより)

昭和時代

戦争が始まると、「ぜいたくは敵だ」というスローガンで食糧の制限がされ、白米食は禁止された。空襲が多くなってくると、避難所では、隣人組・婦人会によるおむすびの配布などもあった(炊き出し)。広島の被爆翌日から近隣の町村から広島市へ炊き出しでおにぎりが運び込まれた。これは“握飯計画”と呼ばれていて、広島市長があらかじめ「広島市がやられたら周辺の町村がおにぎりを作って運んでもらう。使った米は後で支払う。」と頼んでいたのだという。この“握飯計画”のおかげで、被災後十日間は、市民の主食に関かんするかぎり、全く心配せずにすんだという。(浜井信三著「よみがえった都市—復興への軌跡 原爆市長 復刻版」より)

終戦直後

それまでの移入米も途絶え、さらには戦争から兵士が帰ってきたこともあり、食糧事情は戦時中よりも悪化し、食料を高値で売買するヤミ市がにぎわった。

復興

昭和22年に学校給食が復活する。当時はおかずだけで、主食(米)は各自持参だった。昭和25年に米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施される。子供たちからパン食が食生活の中に定着するようになった。学校給食制度上に米飯が正式に導入されたのは昭和51年のことである。(国学校給食会連合会HPより)

昭和30年ごろ、日本は食料難を乗り越え、高度経済成長期を迎える。家電三種の神器(冷蔵庫、テレビ、洗濯機)や炊飯器の登場で、家事の機械化が進んだ。また、核家族の増加によって家庭の手作りが懐かしいものになり、「おふくろの味」が生まれた。

1970年(昭和45年)は、「外食元年」と呼ばれた年で、この年以降、ファミリーレストランやファーストフード店が、続々と出てきて、外食が身近な存在になった。翌年には日本初のコンビニエンスストアが登場した。おにぎりと海苔の別包装フィルムが開発され、おにぎりはその主力商品になった。大量生産の“押し型の成型”のおにぎりが誕生したのである。外で購入したものを家で食べる「中食」や、一人で食事をする「孤食」や、一人ひとり違うものを食べる「個食」という言葉が生まれた。お金があれば食べたいものをいつでもどこでも食べられる“飽食”の時代が始まった。

現在も外食産業は変化しながら人々を魅了している。海外の飲食店の進出もあり、世界各地のあらゆる料理が楽しめるようになった。食べ過ぎや栄養の偏りによる生活習慣病の増加は、今の日本の大きな課題となっている。また、特に若い女性の中では、炭水化物ダイエット(炭水化物を食べない)や同じ食べ物だけ食べるダイエットなど過剰な食事制限によるダイエットが出回っている。“ご飯は太りやすい“といううわさも出て、ご飯を敬遠する人もいる。

日本の食文化に欠かせないご飯

このように日本の食は米を中心に時代とともに大きく変わって来た。日本は島国で他国と離れているため、山海の食材が豊富で独自の食文化が形成された。地域が山・川で分断され、その地域固有の食文化がある。湿気が多く、食べ物が腐りやすいことから発酵食品や佃煮など腐りにくく加工した食品も豊富である。山海の幸、漬物、発酵食品をおかずにご飯を食べる、というのが日本の食の基本である。

日本人の食べているジャポニカ米は粘りが強く、握ると米同士がくっつく。コンパクトで持ちやすく食べやすいおむすびは昔から日本人を支えてきたものである。また、ご飯は和も洋も合うので、具は鮭、ツナマヨ、昆布、おかか、梅干しなどの定番から、最近では肉巻きおにぎりや煮卵が入ったおむすびなど変わり種もありバリエーションが豊富である。日本各地や、それぞれ家庭でいろいろなおむすびがある。

おむすびの日

1月17日は「おむすびの日」である。阪神淡路大震災の時に不安のどん底にいた被災者は、ボランティアによる炊き出し(おむすび)に助けられたことから制定された。いつまでも食料とりわけ米の重要性、ボランティアの善意を忘れないために、と制定された。6月18日は「おにぎりの日」で日本最古のおにぎりの化石が発見された時に、鹿西のろく(6)と、毎月18日の「米食の日」から、制定された。

日本人と米

ケニアの主食はウガリであるのと同じように、日本人の主食は米である。日本人は米と共に発展してきた。

 

米の始まり

米の栽培は今から約6000年前、インド、アッサム地方で始まったとされている。日本に伝わったのは今から2000~3000年前である。

日本の始まり

日本では初めての国家といわれる「邪馬台国」が発祥し、稲作の伝達とともに国としてのかたちが整い始めた。稲は温暖湿潤な日本の気候と合い、それまでは山、海、川でとれるその季節や風土に合った食べ物(木の実やけもの、魚、貝など)を採って食べる時代から、自ら食料を生産することを覚え、人々は一定の土地にとどまるようになった。縄文土器によって、食料を煮るだけでなく保存することも可能であった。定住生活をする人々が増えると、小さな集団が出来、その集団が集まって村が出来た。米の収穫量が増えてくると、人口は増え、村は大きくなり、国のかたちが出来るきっかけとなった。

米は豊かさの象徴

やがて、米は税の1つの形である年貢となり、豊かさの象徴となった。この年貢米は明治時代の地租改正により廃止され、米は本来の食べるものとして今に続いている。水と火と米があればすぐに食べられるご飯は日本人の食、生きることの太源となり、お米の収穫量はいのちを左右するものであった。

収穫祭

その中で米を大地の贈り物として神格化し、1粒に88(八十八)のいのちを宿しているとも言われた。秋の収穫のころに神様への感謝として歌や踊りを捧げる、これが日本の祭りのルーツである。

 

このように米は日本社会にとって、文化、政治、経済の中心的存在で、根源的に支えてきたものである。

おむすびの魅力 ・食の魅力

映画「千と千尋の神隠し」の主人公の千尋がおむすびを泣きながら食べるシーンを知っているだろうか。

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千と千尋の神隠し』(C) 2001 Studio Ghibli・NDDTM

 

―知らない世界に迷い込み、困っている千尋にハクは「千尋の元気が出るように、おまじないをかけて作ったんだ。お食べ。と言っておむすびを渡す。千尋はおむすびを泣きながら食べて元気を取り戻す―

監督の宮崎駿さんはこう言う。「今まで当たりまえだと思っていた“ご飯を食べること”が実は、とてもありがたいことだったと気づき、“生きていてうれしい”という実感がわき起こる場面です。」

おむすびには人を元気づける力があるのではないか。

また、おむすびで自殺をとどまった人がいるという佐藤初女さんのおむすびのことを知った。私は、おむすびには何か力が秘められていると確信した。 

 

日本人は昔から米を中心とした自然に感謝する食生活を送ってきた。食材が新鮮なうちに、楽しく、美味しくいただいて、元気に生きることが命への感謝の表わしになる。

食というのは誰でもが楽しめる、共通の話題、習慣、行事である。手作りの料理は作る人と食べる人の絆を深める。おむすびは、米ひとつぶ一粒の命と向き合う命への感謝の象徴であり、手で結ぶ、手で食べると命の結びつきを強く感じさせる。みんなで作りみんなで食べることで共有する楽しさや美味しさがその場の雰囲気を良くし、より食事を楽しく美味しく感じさせる。手作りの食事は食欲も心も満たす、生きる為には欠かせないものである。 

しかし、時代が進むにつれ人々の生活は変化し、できあいの食事を食べることが増えた。その結果、自然の命に感謝するという意識や思いやりの気持ちが薄れてきている。

家族で同じ食卓を囲むことが難しくなっている現代、共に作り一緒に食べることが必要なのではないか。

人と人の和が作り出すその場の雰囲気が、心に栄養を与えてくれる。お腹だけでなく心が満たされると人と人との絆が深まり、社会はもっと豊かになるだろう 

2021年の振り返り

 

2021年の私

2021年もあっという間でした。まさか、コロナによる影響がまだ続いているとは去年は思わなかった。(私の読みが甘いだけかもしれないが)まだケニアへの渡航の目処がついておらず、博士進学したことを後悔しかけたり、自分が何をしたいのか、何をして食べていきたいのか、とてもよく考えた1年だったかなと思う。

悩みながらも素敵な研究仲間との出会いやちょっとした成果もあり、救いもあった。ほんとうに感謝。

 

このブログの意義

今年のブログ更新は32件。昨年は70件以上だったからだいぶペースは落ちた(笑)書くのがすごく好きだというわけではないけど、自分の言葉を伝えることがとても下手な私にとっては良い感じのトレーニングになっていると感じる。から、来年も細々と呟きを続けていきたいと思う。自分のブログを振り返ると、ああ、あの時はこんなこと考えてたんだな、とかここで考えが変わったんだな、とかなかなか面白い(笑)

人に読んでもらうというよりも自分のために続けているブログ。

 

2021年よかったことベスト3

唐突だけど、一つ一つ振り返るのもちょっと面倒なので、今年よかったことをベスト3でまとめる笑

1、初の筆頭著者論文を出せた!

これはつい最近の12月こと。修論(去年の今頃ゴリゴリやってたやつ)の一部を英文にし、論文を出すことができた〜!論文の書き方や査読の対応の仕方を教授にちゃんと教えていただき、無事にアクセプトをいただきました。実は1回目の投稿はリジェクトで、うわーんとなりました。けど、一回リジェクトをもらう経験がありよかったかなと。最初がイージーすぎると、これから苦労しそうだから。

流れは、今年の3月に日本語で書いた修論の一部を英文化👉4〜6月にかけて投稿チャレンジ先の決定と共著の先生とのやりとりと英文の校正👉7月に投稿👉8月にリジェクト👉9月は空白の時間😂👉10月末に再投稿👉11月末に査読返却👉12月初旬にアクセプト㊗️長かった、、、こんなに長くかかったのは私の仕事の遅さもあるが、教授とのやりとりが1番の要因。こういったやりとり戦略もちょこっと学べたかな👍

 

2、普段考えていることを分かり合える仲間ができた!

SNS経由で他大学院の同じ研究分野の方に論文抄読会のお誘いをいただいた。4月からひょろっと毎週参加するように。自分達の研究分野って本当に楽しいよね、というのを毎週確認できてモチベーション維持にもなる素敵な仲間です。刺激をもらって、どうにか腐らずやってこれた。感謝、バラをあげたい。初の論文がアクセプトされたのも皆からお祝いの言葉をいただいて、こういう切磋琢磨できる仲間を求めてた、、、!と感動した。笑

それに加え、国際協力のオンラインサロンにも2月から参加。なんだかんだ、色んな人と出会い、勉強会に参加したり、模擬国連やったり、プレゼンの準備したり、12月にはオフ会に参加したり。研究とはまた違う自由で、グローバルで、ダイバーシティありまくりでこちらも私の精神安定剤と言っても過言ではない笑。

来年もこの2つのコミュニティは特に大事にしていきたいなと。(もう一つ参加したコミュニティあったことに今気づいた、、笑。色んなコミュニティに関わりすぎるとキャパオーバーになることも学んだ。)

 

3、甥っ子がいる生活(適当😂)

4月に実家の近くに引っ越してきた姉と甥っ子ちゃん。ほぼ毎週末一緒にご飯食べてるな。ただの癒しです。健康に、成長してくれ、、。この子たちの未来が今よりもっと生きやすくて笑顔あふれる世の中になっているといいな、というかするぞ!と再確認できる存在でもあるんだな。

 

多分もうちょっと考えたらもっと色々思い出すかもしれないけど!とりあえず濃かった!

 

思えばたくさんの人に支えられた1年だったナ。

明日は大学からの親友が帰省してて久々に会えるし、今日は大学生の時からお世話になってるラン仲間と走ってご飯食べた(来年はマラソン走れる身体に戻したい)。先週のクリスマスは中高の部活仲間と会って騒いで昔を懐かしんだ。研究室も院生でご飯食べに行ったり走ったり料理したり駄弁ったり、毎日なんだかんだ楽しい。

思えばたくさんの人に支えられた1年だったナ。

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スポーツ栄養と栄養改善のつながり

私は元々スポーツ栄養に興味があって栄養士を目指したんだけど、今は低中所得国、特にアフリカの栄養改善を勉強している。

だけど、スポーツ栄養に興味がなくなったわけでもない。

というのもスポーツ栄養も根源は栄養改善で、疾病ケガ予防、健康増進、さらにはパフォーマンス向上が目的。だから、アフリカの栄養改善もスポーツ栄養とつながっていると思っている。栄養不良を改善するだけでなく、スポーツと組み合わせて強い体づくりを目指すような、そんなことが出来たらいいな、、。と思ってます。そっちの方が夢があるし楽しい。

 

東京オリンピックではアフリカの選手の活躍も目立ってきたし、そういう意味でもアフリカはポテンシャルの塊だと思う。

人が食事を改善しようと行動に起こすきっかけって色々あるけど、

よくあるのは、

1つ目は、女性の妊娠出産と子育てのタイミング。

2つ目は、健康診断の結果が悪かったタイミング。

3つ目は、スポーツやトレーニングをしてて強くなりたいと思ったタイミング。

3つ目だけが誰でもが遭遇しやすいタイミングでは?と思うし、やっぱりスポーツの力って偉大だと思う。

 

スポーツスポーツといいつつ、やっぱり好きなのは陸上。

私がケニアに惹かれる理由は、ケニアが陸上大国であるということも一理ある。栄養士ではなく陸上隊員で協力隊行きたいなーと思うくらい。

 

食とスポーツを通して、アフリカのポテンシャルを伸ばしていきたいな、、、というつぶやきでした。

ランニングのモチベーション・貯筋のための食べ方の話

面白かった本

また頑張ってマラソン走ろうかなとやる気が出てきました。

なぜか。

コレ読んだから(笑)

 

食事でパフォーマンスは左右されるが、限界がある。練習は裏切らない!

というのは私の経験上、間違いない。

ずっと継続的に土日は走ってるけど、9月から平日の朝ランも再開。(3年ぶりくらい?)出来るときにゆる〜く。10月からは研究室の院生4人で週1朝ランも開始💨

こないだの日曜は久しぶりに皇居でラン仲間とガチ練。

走るの好きだわ〜と実感してる最近です。ゆるゆるランもガチ練もバランス良く取り入れていきたい。

 

筋肉は裏切らない!貯筋!

筋肉の重要性は論文でもよく見かけますね(笑)まさに貯金ならぬ貯筋はトレンド。

貯筋によってレジリエンス(こちらもトレンド)が高まる。生活習慣病予防、フレイル予防になる。

運動不足で失った筋肉を更に加速させないよう、ちょっと取り戻すためにも、週末はガチ練を取り入れていきます。今日も、朝1000m×2本と、3000mくらいの早めペーラン。いい感じにゼーゼーしてきました。

最近の研究では、1日のたんぱく質摂取を、夕食など1食のみでたくさん摂取するよりも、朝・昼・夕で均等に摂取したほうが筋肉維持・増加を促進できることが言われてきてる。

Nutrients 201911(3), 612; https://doi.org/10.3390/nu11030612

朝ごはん軽くなりがちだけど、しっかり食べよう!というエビデンスも出てきてる。

午前中は排泄の時間だから食べないほうが良いぞ!と言う意見もある中、こうやって管理栄養士の味方になるエビデンスが出てきているのは嬉しいことだな。こういうエビデンス作っていきたい〜!

 

エビデンスを味方に!頑張るぞ〜!